ズンドコベロニティというものを提唱したい

多者間で一義的な言葉にすることができないなら、その言葉を使うのは避けたほうがよい、ということが言いたいんです。

「ズンドコベロンチョ」をご存知ですか?世にも奇妙な物語で草刈正雄さん演じるサラリーマンが、「ズンドコベロンチョ(もしくはズンベロ)」という意味のわからない言葉に振り回される話です。私はいつだかの昼の再放送で観ました。

サラリーマンは最終的に「ズンドコベロンチョ」に振り回されはするのですが、最初のうちは「ズンドコべロンチョ」という言葉を知るために、新聞や辞書、雑誌を読んで意味を知ろうとしています。

「ズンドコべロンチョ」的な言葉である条件について考えてみました。

  1. 少なくとも、自分がその言葉を理解できていないと感じる
  2. 意味を参照しようとしても参照できる媒体がない、もしくは、参照する媒体によって著しく意味が変容する

この両方を満たすものであると考えます。1番目については自分で分かるものですが、2番目についてはケースバイケースで幅があり、なかなかはっきりと当てはまるものではないかもしれません。

例えば、あるコミュニティAとコミュニティBでは、「ズンドコベロンチョ」という言葉の用法が全く違っていたとしても、そのことさえ理解していれば、コミュニティによって使い分けることで問題なく「ズンドコベロンチョ」を用いることができます。

しかし、コミュニティ単位で「ズンドコベロンチョ」という言葉の意味が統一できておらず、会話の中でそれぞれの人間が「ズンドコベロンチョ」に対してバラバラの意味を込めているような状態では、誰も互いに発言の真意を汲み取ることができません。


このように、微妙に該当するレベルの差があるように思いますから、私はある言葉が「ズンドコベロンチョ」という言葉の性質にどの程度近いかを表す言葉として、「ズンドコベロニティ」という言葉を提唱したいと思います。

もし自分にとってパッとしない言葉が頻出する中で会話が進んでいて、その言葉が「ズンドコベロンチョ」に置き換えても違和感がない場合、それは「自分がその言葉を理解できていないと感じる」に該当するので、ズンドコベロニティが存在する可能性がある、ということです。

次に、そのパッとしない言葉について、人に聞くなりグーグル先生に聞くなりしたとします。考えられる結果としては、大別して3通りあります。

すぐにはっきりした意味に調べがついた場合

単純に、自分がその言葉の意味を知らなかっただけなので、その言葉についてはズンドコベロニティがない、ということになります。

まったく意味に調べがつかなかった場合

人に聞いてもトートロジーで返されるだとか、グーグル先生で1件もヒットしなかったりするなら、その言葉は完全に「ズンドコベロンチョ」と同じ状態にあると言えます。ズンドコベロニティでは表すことができません。

それ以外の場合

人に聞けば一応の意味を教えてはくれるものの、人によって内容が違うとか、グーグル先生でもヒットするけれど、サイトによって書いてあることが全然違う場合になります。ここから先は、その言葉をある用法で使う人間がどれだけいるのか、用法はどの程度多岐にわたるのか、という要素を鑑みて、ズンドコベロニティが高い、低い、ズンドコベロニティを感じる、感じないと言っていただければと思います。


ただし、別にズンドコベロニティが高い言葉であったとしても、あまり問題のないケースも多々あるように思います。ちょっとした会話で「人生」について語り合ったりしがちですからね(?)。

しかし、それが許されるのは2者間でだけ通じれば良い場合だとか、そもそも意味が通じている必要がないとか、その場で使うだけで、明日同じ言葉を使う予定がない、といった日常生活の1コマに限られます。

ズンドコベロニティが高い言葉を議論のコンテキストに含めて、部外者に議論の内容を理解してもらえる可能性というのは、私の主観ではありますが限りなく低いでしょう。1人でも多く、長期的に認識を共有したいとおもうのであれば、ズンドコベロニティの高い言葉を使うこと自体を避けるべきです。

ちなみに、「自分にとって」の「ズンドコベロンチョ」について説明する、というのは、認識の共有に幾ばくかの貢献はするとは思いますが、主題が「ズンドコベロンチョ」である以上、「他人にとって」の「ズンドコベロンチョ」と衝突することは容易に想像がつきます。説明ができるのであれば、はなからズンドコベロニティの高い言葉を使わなければいいのです。


ここまで言ってしまうと、世の中の流行語とか、新しい概念とか、新語の発生プロセスまで否定しかねませんね。だから、もし今はズンドコベロニティが高い言葉であったとしても、ちゃんとズンドコベロニティのない言葉で定義して、他者に対してもそれを守ってもらうようにしていけば、ズンドコベロニティは下がっていくでしょう。


…「ズンドコベロンチョ」を「ズンドコベロンチョ」で説明することほど、最悪なことはないなあ、と思います。


以上です。突っ込みどころが多々あるかもしれませんが、ズンドコベロニティとその用法について、改良していただける方がおられましたら歓迎します。

最後に、この雑記をするきっかけとなった自分の連ツイを載せておきます。